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断じて誰かに乗っ取られた訳ではない烏間です。
今日は色々大変だったのですが、それについて書くことはできないので、今日考えていた話を書くことにします。テーマは「好き」。
だいぶ長いですが追記には放り込みません。ご容赦のほどを。
例によって独断と偏見で書いています。
ところでこの前烏間の親が、妹の授業参観に行きました。英語の授業です。
ここで例文。英文がどういったものかまで親は覚えていなかったのですが、日本語訳では「ウミガメはクラゲを好む」というもの。ここで表現に使われた英単語は、「好む」のところが「Love」だったんですね。親は(昔の世代の人なので)相当びっくりしておりまして、「ええーっウミガメLoveクラゲなのー!?」とか言っておりました。「好んで食べるほうにもLoveって使うんだー!」とのこと。まあ、はい。そういえば習った気がしますが、言われて見ればちょっと日本人には不思議な感覚かもしれません。
さっき言及したとおり、烏間にはかわいい(表現は烏間の主観的)妹がいます。とりあえず、烏間が「すずめ」なんで妹は「めじろ」にしておきましょう。3文字。しりとりにもなっているし。
めじろは浮いた話のひとつもない子ですが、友達として仲良くしている男の子がいます。というわけで、時々「めじろは××(男の子の名前)が好きなんだってよー!」とかからかわれるそうでして。男の子のほうは必死に否定していますが、めじろは完全無視を決め込んでいるようです(反応したくないかららしい)。ついでに烏間が「で、めじろは別にその子のこと嫌いじゃないんでしょ」と聞くと、「嫌いじゃないよ」と答えるのです。「友達としては好きだけど、うーん」だそうです。
ちなみに烏間にも好きな人がいます。と言うと、大体女の子からは「エーどんな子!?(烏間もめじろと同じかそれ以上に浮いた噂のひとつもない上に、そんな印象すらもたれないらしいので、その驚きもこめて)」と聞かれるんですが、正直に答えるといろんな事情があって「えっ?」って顔をされますね。そのときに答えるのが、「好きですよ。好きだけど、たぶんいわゆる大人や若者の恋ではないですね」という言葉です。実際問題、烏間の好きな人に対して、烏間はなんといいますか、小説で読むような甘酸っぱい恋心を抱いているわけではないです。「この子いい人だな」「ほっとけないな」とか、そういう感情でできた「好き」です(人によっては恋心だと解釈される場合はありそうですが……)。大体、異性に対して烏間はテンプレート的な「恋愛感情」を抱いたためしがありません。憧れすらない。「好き」という言葉尻を捉えられてはやし立てられるのは、あまり好きではないからそう思うのかもしれませんが。
ついでに、烏間はめじろに対して、いわゆるシスコンであります。「めじろかわいいねー」とか、悪意のないからかいとかあいさつっぽく言いますね。「めじろのこと好きよー」と言うと、昔は普通に「わーい」とか対応してくれてたのに最近は「うえー」とか気持ちの悪そうな表現をされます(昔はかわいかったのに! あっ今もかわいいわ)。そういう反応をされると流石に烏間とていやですので、「お前はなんだ! 好き=恋愛感情的な「好き」としてしか見ることができんのか!」と(本気ではないにせよ)怒ることがままありまして。
何が言いたいかと言うと、日本語の「好き」って複雑ですよね。そして面と向かって言えない。
烏間はどちらかというと異性間同性間に友情はありうる(どれだけそれが恋愛に近いものでも、友情と言えるものは友情であっても別に悪くはないと思う)と考える人なので、そう思うだけかもしれませんが、「好き」という感情はそんなに日常から遠いものではないはずなのに、いざ「好き」って言葉にするととたんに重たくなってしまうし、特別な意味を持ってしまう。そんな言葉のように思います。
もっと気軽に「好き」って言ってもいいじゃない! 恋愛感情的な意味ではなくて、「好き」って伝えてもいいじゃない! 伝えなければ分からないことだってあるのよ! と勝手に考えていたのが今日でございます。
日本語に限ったことではなく、人間として、言葉を使う以上、自分の考えていることを伝えることはできるはずなのです。「好き」ってプラスの感情ですよね、基本的には。親しい間柄での「好き」なら、遠慮せずに伝えられればいいのに、とかふと考えてしまいます。「ありがとう」とか「好き」って言葉、大事だと思うんですけどね。
そこをあえて伝えない/伝えられないところが日本人の奥ゆかしさなのでしょうか? それは言いすぎなのかしら?
とかこんなことをだらだら考えていました。
長々とアレですみません。
今日は色々大変だったのですが、それについて書くことはできないので、今日考えていた話を書くことにします。テーマは「好き」。
だいぶ長いですが追記には放り込みません。ご容赦のほどを。
例によって独断と偏見で書いています。
ところでこの前烏間の親が、妹の授業参観に行きました。英語の授業です。
ここで例文。英文がどういったものかまで親は覚えていなかったのですが、日本語訳では「ウミガメはクラゲを好む」というもの。ここで表現に使われた英単語は、「好む」のところが「Love」だったんですね。親は(昔の世代の人なので)相当びっくりしておりまして、「ええーっウミガメLoveクラゲなのー!?」とか言っておりました。「好んで食べるほうにもLoveって使うんだー!」とのこと。まあ、はい。そういえば習った気がしますが、言われて見ればちょっと日本人には不思議な感覚かもしれません。
さっき言及したとおり、烏間にはかわいい(表現は烏間の主観的)妹がいます。とりあえず、烏間が「すずめ」なんで妹は「めじろ」にしておきましょう。3文字。しりとりにもなっているし。
めじろは浮いた話のひとつもない子ですが、友達として仲良くしている男の子がいます。というわけで、時々「めじろは××(男の子の名前)が好きなんだってよー!」とかからかわれるそうでして。男の子のほうは必死に否定していますが、めじろは完全無視を決め込んでいるようです(反応したくないかららしい)。ついでに烏間が「で、めじろは別にその子のこと嫌いじゃないんでしょ」と聞くと、「嫌いじゃないよ」と答えるのです。「友達としては好きだけど、うーん」だそうです。
ちなみに烏間にも好きな人がいます。と言うと、大体女の子からは「エーどんな子!?(烏間もめじろと同じかそれ以上に浮いた噂のひとつもない上に、そんな印象すらもたれないらしいので、その驚きもこめて)」と聞かれるんですが、正直に答えるといろんな事情があって「えっ?」って顔をされますね。そのときに答えるのが、「好きですよ。好きだけど、たぶんいわゆる大人や若者の恋ではないですね」という言葉です。実際問題、烏間の好きな人に対して、烏間はなんといいますか、小説で読むような甘酸っぱい恋心を抱いているわけではないです。「この子いい人だな」「ほっとけないな」とか、そういう感情でできた「好き」です(人によっては恋心だと解釈される場合はありそうですが……)。大体、異性に対して烏間はテンプレート的な「恋愛感情」を抱いたためしがありません。憧れすらない。「好き」という言葉尻を捉えられてはやし立てられるのは、あまり好きではないからそう思うのかもしれませんが。
ついでに、烏間はめじろに対して、いわゆるシスコンであります。「めじろかわいいねー」とか、悪意のないからかいとかあいさつっぽく言いますね。「めじろのこと好きよー」と言うと、昔は普通に「わーい」とか対応してくれてたのに最近は「うえー」とか気持ちの悪そうな表現をされます(昔はかわいかったのに! あっ今もかわいいわ)。そういう反応をされると流石に烏間とていやですので、「お前はなんだ! 好き=恋愛感情的な「好き」としてしか見ることができんのか!」と(本気ではないにせよ)怒ることがままありまして。
何が言いたいかと言うと、日本語の「好き」って複雑ですよね。そして面と向かって言えない。
烏間はどちらかというと異性間同性間に友情はありうる(どれだけそれが恋愛に近いものでも、友情と言えるものは友情であっても別に悪くはないと思う)と考える人なので、そう思うだけかもしれませんが、「好き」という感情はそんなに日常から遠いものではないはずなのに、いざ「好き」って言葉にするととたんに重たくなってしまうし、特別な意味を持ってしまう。そんな言葉のように思います。
もっと気軽に「好き」って言ってもいいじゃない! 恋愛感情的な意味ではなくて、「好き」って伝えてもいいじゃない! 伝えなければ分からないことだってあるのよ! と勝手に考えていたのが今日でございます。
日本語に限ったことではなく、人間として、言葉を使う以上、自分の考えていることを伝えることはできるはずなのです。「好き」ってプラスの感情ですよね、基本的には。親しい間柄での「好き」なら、遠慮せずに伝えられればいいのに、とかふと考えてしまいます。「ありがとう」とか「好き」って言葉、大事だと思うんですけどね。
そこをあえて伝えない/伝えられないところが日本人の奥ゆかしさなのでしょうか? それは言いすぎなのかしら?
とかこんなことをだらだら考えていました。
長々とアレですみません。
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